北大路魯山人 (きたおおじ ろさんじん)
プロフィール
1883年〜1959年。
日本の芸術家。篆刻、絵、陶芸、書道、漆芸、料理家。
京都で北大路清操の二男、房次郎として生まれ、生後すぐに養子に出される。
その後、転々とする中で画家を志すも当時の養父であった木版師の福田武造に反対され、丁稚奉公にだされた後に書の才能が現れ始める。
20歳頃になると岡本可亭に弟子入りし、書だけでなく、版下や篆刻に取り組み独立を果たす。
長浜、京都、金沢などで食客として招かれ、福田大観の号で天井画や襖絵、篆刻を残す。
そのうちに食器と美食に興味を持ち、自らが料理する一方で、作陶に励む生活を送る。
器に載せる事で料理が引き立ち、器も更に魅力が増すような陶器は、美食家である魯山人ならではの特徴。
北大路魯山人の生涯 ― 美と食を極めた孤高の芸術家
北大路魯山人(きたおおじ ろさんじん、1883年3月23日~1959年12月21日)は、書道、篆刻、陶芸、絵画、漆芸、料理と多彩な分野で才能を発揮した、近代日本を代表する芸術家です。「美」と「食」の融合を生涯のテーマとし、その独自の美意識は今なお多くの人に影響を与えています。
波乱の幼少期と美への目覚め
京都・上賀茂神社の社家に生まれるも、幼くして両親と離れ、養家を転々とした魯山人。最終的に落ち着いた福田家では、台所仕事を通じて味覚を養い、看板の文字に心を動かされたことが、書や絵への興味の始まりでした。
書と篆刻で頭角を現す
奉公先を経て書家を志し、日下部鳴鶴や巌谷一六に学ぶも、伝統的な型に縛られない独自の表現を追求しました。21歳で日本美術協会展に『千字文』を出品し一等賞を受賞。その後、篆刻でも才能を認められ、若くして名を知られるようになります。
美食家として、そして陶芸家として
1917年に古美術商「大雅堂」を開業し、やがて自ら料理を振る舞う会員制の食堂を運営。料理と器の関係に強い関心を抱いたことから、自ら陶芸の道に入りました。1927年、鎌倉に「星岡窯」を築き、本格的な作陶を開始。料理の魅力を引き立てる器作りに没頭し、「器は料理の着物である」との信条を貫きました。
海外での高評価と晩年
1954年、ロックフェラー財団の招待で渡欧。フランスではピカソやシャガールと交流を重ね、国際的な注目を集めました。1955年には人間国宝に推挙されるも、権威を嫌い辞退。最後まで一芸術家としての信念を貫き、1959年、76歳で生涯を終えました。
芸術と料理を融合した独自の世界
魯山人の作品は、書、器、料理など多岐にわたりますが、その根底には一貫した「美の探究心」があります。彼の代表作「雲錦鉢」「日月椀」「織部マナ板皿」などは、今も多くの美術館に所蔵され、高い芸術性が評価されています。
美の本質に挑んだ魯山人
北大路魯山人は、既成の価値観に縛られず、自らの審美眼と感性を信じて生きた芸術家でした。美術と料理、手仕事と生活、形式と自由。そのすべてを統合した彼の美意識は、時代を超えて今も私たちに問いかけてきます。
北大路魯山人の作品をお持ちの方へ
当館の専門査定士がご相談に乗らせていただきます。
お気軽にお問い合わせください。
お問い合わせも多く寄せられますが、贋作も多く真贋鑑定の難しい作家です。
取り扱いの多い当館に是非お任せくださいませ。