砂澤ビッキ (すなざわ ビッキ)

プロフィール

砂澤ビッキの生涯と芸術
砂澤ビッキ(すなざわ ビッキ、1931年3月6日〜1989年1月25日)は、北海道旭川市近文コタン出身の彫刻家であり、アイヌ文化の精神を現代芸術に融合させた独創的な作品で知られています。彫刻という枠を超えて、自然と共鳴するような表現を追求し続けたその生涯は、今も多くの人々に強い影響を与えています。

幼少期と芸術への目覚め
本名は砂澤恒雄(ひさお)。幼い頃から「ビッキ(カエル)」という愛称で親しまれていました。父・砂澤市太郎(トアカンノ)、母・ベラモンコロのもと、豊かなアイヌ文化の中で育ち、自然と共にある暮らしの中で、後の芸術性の土壌が培われました。

1953年、22歳のときに木彫を始め、芸術の道へ進みます。その後、鎌倉へ移住し、モダンアート協会に所属。読売アンデパンダン展などに出品するなど、阿寒と鎌倉の2拠点を行き来しながら、前衛的な表現を展開していきました。

独自の作風と代表作
砂澤の作品は、木の質感を活かした有機的なフォルムと、自然や生命をテーマにした彫刻が特徴です。特に「ビッキ文様」と呼ばれる、十字、円、三角形などをモチーフにした幾何学的な装飾が、多くの作品に見られます。

代表作には、北海道立近代美術館に収蔵されている《樹鷲函》(1980年)や、札幌芸術の森野外美術館に設置された《四つの風》(1986年)などがあり、いずれも力強く詩的な存在感を放っています。

晩年とその遺産
1978年、砂澤は北海道中川郡音威子府村筬島へと移住し、廃校となった小学校を改修してアトリエ「BIKKYアトリエ3モア」と名付け、創作活動に没頭しました。この地で、自然と一体化した芸術表現を追求する晩年を過ごします。

1989年1月25日、札幌市で骨髄癌により57歳で逝去。彼の作品と精神は、今なお「BIKKYアトリエ3モア」や各地の美術館で受け継がれており、観る人に深い感動と問いかけを与え続けています。

砂澤ビッキの芸術は、単なる造形美にとどまらず、自然との対話、文化の継承、人間存在への探究といった多層的な意味を宿しています。その魂のこもった作品群は、これからも人々の心を静かに揺さぶり続けるでしょう。

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