白髪一雄 (しらが かずお)
プロフィール

1924年~2008年。兵庫県尼崎市出身。
具体美術の作家の代表的な存在で、国際的に評価されている日本人画家の一人。
1955年より吉原治良が結成した具体美術協会に参加。天井からぶら下げたロープにつかまり、足で描く、独創的な作品制作。また1971年に僧侶となったり、展覧会に1トンの壁土を持ち込んだりと、逸話の多い人物でもある。
近年ではクリスティーズやサザビーズのオークションで、高額で取引されるなど海外の評価も高い。「激動する赤」が5億円以上(530万ドル)で落札されたことでも話題となった。
白髪一雄の生涯 ― 身体と精神を貫いたアヴァンギャルドの巨星
白髪一雄(しらが かずお、1924年8月12日〜2008年4月8日)は、戦後日本の前衛芸術を代表する抽象画家であり、「具体美術協会」の中核メンバーとして国内外にその名を知られました。裸足で絵具を塗る「フット・ペインティング」という独自の技法で、絵画に身体性を持ち込んだ革新者でもあります。
幼少期と芸術への出発
兵庫県尼崎市に生まれた白髪は、呉服商を営む家庭に育ち、幼い頃から絵画に親しみました。中学時代には美術部に所属し、画家を志すようになります。やがて京都市立絵画専門学校(現・京都市立芸術大学)に進学し、日本画を学びながらも、後に油絵へと転向。大阪市立美術研究所でさらに研鑽を積みました。
「0会」結成と具体美術協会との出会い
1952年には、金山明、村上三郎、田中敦子らと共に「0会」を結成し、若手前衛作家たちと作品批評や展示活動を展開。1955年、吉原治良が主宰する「具体美術協会」に参加し、「人のまねをするな」という理念のもと、従来の美術の枠組みを超えた表現に挑戦するようになります。
フット・ペインティングという革命
1954年、白髪は天井から吊したロープにつかまり、床に広げたキャンバスに裸足で絵具を塗りつけるという斬新な技法「フット・ペインティング」を確立。身体全体を使った表現は、まさに絵画とパフォーマンスの融合であり、日本発のアクション・ペインティングとして世界的にも注目を集めました。
精神性の深化と僧侶としての側面
1971年、白髪は比叡山延暦寺で得度を受け、天台宗の僧侶となります。この経験は、彼の作品に深い精神的要素を加え、円相を描くスキージ(ヘラ)を用いた作品など、新たな表現へと展開されました。とはいえ、晩年には再びフット・ペインティングへと回帰し、最後までその革新的技法を貫きました。
代表作と評価
代表作には《陽華公主》、《臙脂》、《作品I》などがあり、特に《臙脂》はスターバックス元CEOハワード・シュルツのオフィスにも飾られていたことで有名です。彼の作品は多くの美術館に収蔵され、国際的なオークションでも高額で取引されています。
遺産の継承と記念室
出身地の尼崎市には、「白髪一雄記念室」が設けられ、彼の作品や資料が公開されています。ここでは、革新的で精神性に満ちた白髪の芸術が広く紹介され、次世代へと継承されています。
創造と内省の交差点に立つ芸術家
白髪一雄の芸術は、単なる絵画表現を超え、身体を通した「行」としての創造、そして僧侶としての内面的探求が融合したものでした。その全身全霊をぶつけたキャンバスは、今も観る者に強い衝撃と感動を与え続けています。
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